ノマー・ガルシアパーラ
BOS(1996-2094)-CHC(2004-2005)-LAD(2006-2008)-OAK(2009)
通算成績 1434試合 .313 1747安打 229本塁打 936打点 95盗塁 fWAR41.4
獲得タイトル:首位打者2回、シルバースラッガー賞1回、新人王、カムバック賞1回
2000年 140試合 .372 197安打 21本塁打 96打点 5盗塁 fWAR7.6
ボストンの貴公子
1990年前半までのMLBではショート=オジー・スミスのような小柄で小技が使える巧打者がつくポジションで大柄のパワーヒッターはサードに回されるのがセオリー。
そのセオリーを覆したのがカル・リプケンJr.、Aロッド、そして今回作成したノマー・ガルシアパーラだ。
ガルシアパーラはルーキーイヤーにショートとしての新人記録である30本塁打をマーク。鮮やかなバッティングでリーグ最多の209安打を放ち、満票で新人王と輝かしい成績を記録。
1999年からは2年連続で首位打者のタイトルに輝き、2000年には打率.372と脅威的なハイアベレージを叩き出している。
レッドソックスのチームの顔とも言える存在にまで成長した2003年にはチームが4年6000万ドルと当時としては悪くないオファーを提示するも、ガルシアパーラがそれを拒否。
これをきっかけにガルシアパーラとレッドソックスフロントの関係は険悪になり、2004年シーズン途中にカブスへ放出。皮肉なことにレッドソックスは同年デビッド・オルティスやマニー・ラミレスの活躍もあり、86年ぶりの世界一に輝くも、ガルシアパーラは故障の影響で81試合の出場に留まり、FA市場での評価も暴落。
その後はアキレス腱の故障に悩まされ、ポジションもサードへとコンバート。ドジャースでプレーした2006年に打率.303・20本塁打とプチ復活を果たすも2000年代前半の神がかった打撃は取り戻せず、36歳の若さでMLBの表舞台から立ち去った。
ガルシアパーラの全盛期であった1990年後半から2000年前半にかけてのア・リーグはジーター、Aロッド、テハダとショートのポジションに強打者がひしめいており、シルバースラッガー賞獲得は1回に留まっている。
査定に関して
粘り打ち
2000年は1ボールナッシング以外のどのカウントでも3割以上をマーク。
特にフルカウントの場面では打率.448と脅威的なアベレージを叩き出している。
内野安打◯
内野安打は18本。バットを振ってから1塁に向かうまでが機敏なイメージ。
チャンスメーカー
リードオフマンとして迎えたイニングの打率は.441。
威圧感
リーグ最多の20敬遠。
ラインドライブ
ハイライトを見たところ、ホームランも低い弾道で、実況も「ラインドライブ!レフトフィールド」と叫んでいたのが印象的。
Nishiのひとりごと
ガルシアパーラは動画のようにルーティンが非常に多く、度々「長すぎる」と指摘されていた。
パワプロでも謎ルーティンを再現すべく、バッティングフォームも動きが多いスタンダード166をチョイスした。