野茂英雄
近鉄(1990-1994)-LAD(1995-1998)-NYM(1998)-MIL(1999)-DET(2000)-BOS(2001)-LAD(2002-2004)-TB(2005)-KC(2008)
通算成績(MLB) 323試合 123勝109敗 防御率4.24 1918奪三振 fWAR27.3
獲得タイトル:新人王、最多奪三振2回
1995年 28試合 13勝6敗 防御率2.54 236奪三振 fWAR5.2
パイオニア
メジャーリーグでは毎年誰かしらの日本人選手がメジャーデビューを飾っているが、その門戸を開いたのが野茂英雄だ。
1994年オフに近鉄の首脳陣と対立し、任意引退の形*1でメジャーに挑戦。翌年95年1月にドジャースと3年のマイナー契約を結んだ。
メジャー1年目となる1995年は開幕から1ヶ月間勝ち星を挙げられないという厳しいスタートになったが、6月2日のメッツ戦で初勝利を挙げるとそこから勢いに乗り、前半戦を防御率1.99という好成績で終えた。同年はルーキーながらオールスターにも選ばれ、当初登板を予定していたマダックスが登板を回避したためナ・リーグ先発の大役を果たすことに。
1995年は最終的にリーグ2位の防御率2.54、リーグ1位の236奪三振という圧倒的な成績を残し、新人王のタイトルを獲得した。
ちなみにドジャースは1992年からキャロス、ピアザ、モンデシー、野茂、ホランズワースと5年連続で新人王を輩出するという偉業を成し遂げている。
野茂のトルネード投法はMLBでも話題になり、ドジャー・スタジアムにはNOMOマニアが押しかけるなど、ストライキで下がったMLBの人気を回復させる一因にも繋がった*2。
野茂のメジャーでのキャリアハイはルーキーイヤーの1995年となってしまったが、96年・2001年にノーヒットノーランを達成、2002年から2シーズン連続で16勝を挙げるなどメジャーの第一線で活躍。野茂が挙げたMLB123勝は日本人選手としての最多記録であり続けている。
2024年8月10日のドジャース対パイレーツ戦ではドジャースのレジェンドの一人としてドジャー・スタジアムに帰還。体型こそはだいぶ丸くなってしまったが、元気そうな姿にほっとした日本人ファンは多かっただろう。
球種はカーブ、フォーク、オリ変のフォーク。
野茂は早いカウントでは高めからストライクゾーンに大きく落ちるフォークを投げ、三振を狙う時はスプリットのようなスピードがあり、落差が小さいフォークを投げていた。そのため、オリ変のフォークは球速を2段階アップさせています。
また、カーブはつけるか悩んだが、書籍Guide to Pitchersではがっつり球種構成にカーブと書かれていたため採用。
査定に関して
クイックF
野茂がクイックの修正を行なったのはデトロイトタイガース時代の話。1995年はモーションが大きかったことと、キャッチャーのピアザが弱肩だったこともあり、30盗塁を許している。
ドクターK
1995年の奪三振率はリーグ1位の11.2。
現在では奪三振率10を超える先発投手は珍しくないが、当時としては飛び抜けた数字であったため金特のドクターKを採用した。
ちなみに野茂はMLBの通算奪三振率ランキング(1000イニング以上)でも41位につけている。
対強打者◯
野茂がプレーしていた1990年代後半はステロイドやビタミン剤と称したドーピング剤がMLBで蔓延。そんな中でNPB時代と遜色ない好成績を残せたことを讃えて。
荒れ球
The 野茂英雄って感じの特能。野茂はMLBでも制球の波が激しく、独特のフォームも相まって打者にとっては恐怖を感じさせる存在だっただろう。
Nishiのひとりごと
野茂についてもっと知りたい、特に日本球界との確執の真相を知りたい方はこちらの書籍がオススメです。
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